HISTORY

はじまりは天洋奇術研究所

松旭斉天洋の写真

HISTORY

1931年。ビルの一室に、「天洋奇術研究所」の看板が掲げられました。

私たちの「驚きをつくる」歴史は、ここから始まります。

はじまりは、一人のマジシャンから

全てのはじまりは、松旭斉天洋(しょうきょくさい・てんよう)という、当時のトッププロマジシャンでした。1931年に、文化勲章を受章した東大名誉教授・緒方知三郎先生の薦めと協力を得て、東京・三原橋のビルの一室に、天洋奇術研究所を立ち上げます。緒方先生自身も、手品を心から愛するアマチュアマジシャンでした。

そして同年、天洋の六男として生まれたのが、のちにテンヨーの創始者となる山田昭です。テンヨーは、マジシャンの家系から始まりました。

1930年代、研究所は三越百貨店にショップを構えました。手品の道具といえば、路上でテキ屋が売るものだった時代に、「日本を代表する百貨店」に手品道具を並べたことは、画期的でした。

ですが、最初の研究所は、長くは続きません。戦争、経済状況が大きく変わるなかで、閉鎖を余儀なくされます。松旭斉天洋は舞台に専念し、現在の日本奇術協会を創設。天洋奇術研究所の看板は下ろされましたが、「驚きをつくる」という信念は、山田昭のなかに残っていました。

松旭斉天洋の写真

再出発、そして株式会社テンヨーへ

1953年。山田昭は東京・新富町に、天洋奇術研究所をふたたび立ち上げます。父と同じ名前を掲げながら、考え方は新しいものでした。それまで専門家だけのものだった手品の道具が、一般の人に向けて開かれたのです。研究所にはプロのマジシャンを志す人たちが集まり、初代・引田天功さんも、ここから世に出ていきました。

三越との縁も、深まっていきます。1956年、三越劇場で第一回のマジックフェスティバルが開かれました。現在までほとんど毎年続くイベントは、ここから始まります。

1960年、研究所は株式会社に。1962年には社名を株式会社天洋に改め、「驚き」を軸に、取り扱う商品を手品以外にも広げます。

中でも大ヒットとなったのは、1963年の「プラパズル」。一家に一台といわれるほど広まり、パズルの古典として、いまもほとんど形を変えずに棚に並んでいます。手品の外で生まれた最初のヒットが、会社の幅を広げました。

そして1970年、株式会社テンヨーに。一人のマジシャンの名前が、「驚き」をつくる会社の名前になった瞬間です。

翌1971年には、「シーモンキー」を発売します。水に卵を入れると、生き物が生まれてくる不思議なペット。社会現象と言われるほどの大ヒットになりました。

プラパズルと手品から生まれたジョークの商品
シーモンキーと1973年のカタログ

真似をしない、と決める

この頃、忘れてはならないエピソードがあります。山田昭が海外を飛び回って新しいネタを探していた際に、「日本人は真似をするからダメだ」と店を追い出されたことがあります。悔しい思いをした山田昭はここで、「オリジナル」への強い決意を固めます。

1973年、シリーズ「MAGIC in JAPAN」で、商品につくり手の名前を明記する方針を、世界に向けて表明しました。以来ずっと、テンヨーの手品には、クリエイターの名前が添えられています。

テンヨーのマジックカタログ

驚きの裾野を広げる

同じ頃、山田昭はヨーロッパでジグソーパズルに出会い、日本へ持ち込みます。当時の日本には、その言葉を知る人すらいませんでした。

ジグソーパズルは、最後の1ピースをはめて、はじめて完成する遊びです。ピースをひとつ失くしただけで、その楽しみは宙づりになる。根づきはじめたばかりの遊びにとって、その「がっかり」は、人がパズルから離れていく理由になります。

だから1974年、思い切った判断をします。失くしたピースは、ユーザーのもとへ直送する。全生産ロットを一定期間保管し、ロットごとに照合して送る、業界に先駆けた仕組みです。この判断が日本にジグソーパズルの市場を作り、私たちは50年以上、いまも毎日続けています。

1975年には、「こどもジグソーパズル」を日本で初めて発売。輸入から始まった遊びが国産化へ進み、子どもたちの手にも届きはじめます。

同じ年、手品の百科事典『ターベルコース・イン・マジック』の翻訳出版に取りかかりました。手品には、売れるほど秘密が広まるというジレンマがあります。それでも広げることを選び、1981年、第7巻まで全7巻を出しきって、図書館にも寄贈しました。

1983年には、テーマパークのマジックショップで手品の販売を始めます。専門のデモンストレーターが目の前で演じて見せる売り場は、手品を初めて手にする人の入口になっていきました。

1976年のジグソーパズルカタログ

オリジナルが、世界に認められる

1989年、入れたお金が消える貯金箱「アートバンク」を発売します。手品のアイデアを日用品に応用したこの商品は、全世界で累計400万個を売り上げました。

同じ年、アカデミー・オブ・マジカル・アーツのクリエイティブ賞を受賞します。マジックのアカデミー賞といわれる賞です。オリジナルを貫いてきた歩みが、世界に認められました。

1992年には、お金が縮む貯金箱「ミクロバンク」を発売。消える驚きの次は、縮む驚きでした。

そして1993年。アメリカのミルトン・ブラッドレー社がテンヨーのライセンスで「Magic Works」シリーズを発売し、全米のテレビコマーシャルとともに大ヒットします。テンヨーの手品は、世界中の家庭に届くようになりました。

お金が消える貯金箱アートバンク

いまも、世界初をつくる

2009年、世界初の「ジガゾーパズル」を発売します。同じ年には、本のかたちの貯金箱「貯金本」が、累計100万部を突破しました。

2013年には、「ラストワンピースジグソーパズル」と「メタリックナノパズル」が、日本おもちゃ大賞でともに大賞を受賞。ダブルグランプリに輝きました。

2020年には、世界初の「M-ZIP」を発売。

2023年からは、メッキとエンボス加工で仕上げる「金バッジ」シリーズが大ヒットしました。驚きのつくり方は、いまも増え続けています。

メタリックナノパズルの作品

変わらないもの

テンヨーは今や、マジックとジグソーパズルを軸にしながらも、約300の商品ラインナップを、毎年更新しています。ですが、いつまで経っても、始まりはマジック研究所です。

惜しいマジックでは、人は驚きません。ちょっとしたほころびで、マジックは興ざめしてしまう。だから私たちは「惜しいもの」を作りません。本気の「驚き」だけをつくり続けています。

研究所から会社へ。手品からジグソーパズル、そしてホビーへ。これから時代が更に変わっていっても、私たちはこれからも「驚き」を作り続けていきます。

天洋奇術研究所の書類